より高い遠い空へ


 低く唸るエンジン音。
 動き出す機体。
 流れゆく滑走路。
 鉄の塊とはいえの機体を通して感じる日本の地。
 飛び立つために加速して揺れているのがわかるくらいになると、彼は窓の外の景色を見るのをやめた。
「見納めなくていいのか?」
 機体に乗り込んでからは大人しかった彼女が、通路を挟んだ隣の席から声をかけてきた。
 その声が珍しく柔らかなものだったので、彼は反射的に彼女を見た。
 公園で見せた、あの切なげな表情が頭をよぎる。
 またあの時と同じ顔をさせてしまっているのかと思ったが、彼女は欠伸を噛み殺しながら適当に雑誌をめくっていた。
「それより早く帰って仕事をしないと。ベニーには悪いことしたな」
 機体がふわりと浮いたのがわかった。
 空へ、空へと。より高い遠い空へと真っ直ぐに機体は突き進む。
「そうやって面倒な事ばっか考えてっから深酒しちまったんだろうぜ、ロック。それとも、あれも趣味のひとつだったってことか?」
「……そうかもな。けど次から気をつけるさ。俺だってうまい酒が飲みたいんだ」
「なぁに、ロアナプラに帰えりゃあいつだって飲めるさ」
「日本じゃ落ち着いて飲めなかったもんなぁ」
「帰ってから飲み直しゃいい。それに、ツマミになる話のストックならあるじゃねぇか。今夜はあいつらの酒の肴だな」
「ほどほどにしてもらうよ、それにその後は……その、今回のお詫びと言うわけでもないんだけど……」
 徐々に彼の顔は赤くなり、とうとう言葉が途切れた。
「なんだお前?」
 彼女は奇妙な物でも見るような顔で彼を見ている。
 一瞬たじろぎ苦笑してみせたが、それでも彼は言葉を続けた。
「俺の部屋で二人で飲み直さないか? 奢るよ」
「……悪かねぇな」
 ふっと彼女が口元を緩めた。
 同時にベルト解除を促すアナウンスが流れる。
 機体が安定したのだろう。
 雲の上に来ていた。
 窓から強い太陽の光りが差し込んでいる。
「ロック、ずれろ」
「え?」
 彼女は突然立ち上がりそう言うと、彼を奥へと押しやり隣の席に座った。
「寝る」
 そうとだけ言うと、彼女は彼の肩に頭を寄せ、目を閉じた。
「……枕か、俺は」
 彼は通りかかった客室乗務員に毛布を一枚頼み、彼女と、そして自分にそれをかけた。
 二人はベルト着用のアナウンスが流れるまで目覚める事なく、長旅を終えたのだった。