「体中痛ぇんだ。触ンなよ」
彼女の声は小さかったが、吐いた息は白くはっきりと見えた。
牢屋のようなコンクリート作りの部屋の空気は酷く冷たい。
彼女の姿を見て、彼は素早く上着を脱ぐ。
傷だらけの身体を優しく包むように、上着をかけた。
「暗くて見えないな。明かりはないのか?」
「こんな廃れた場所に、ンなもんあるわけねぇだろ」
彼は静かにひざまずく。
「大丈夫か?」
そう言うと、彼女の肩に手を伸ばしそっと触れた。
布地を通して伝わる掌の温かさから、いまの彼は言葉は自分の思うものとは別の意味を含んでいると悟る。
彼女はいつもより赤い唇を少し舐めた。
鉄の味が舌先から口腔内に広がっていく。
「……あんたの無茶が染っちまったよ」
この場において伝えるには残酷すぎる言葉なのかもしれなかった。
彼の、黒く透き通るような輝きを放つ双眸が、大きく揺れた。
真面目な彼は言葉に詰まっているのだろう。少し意地悪をしてやりたくなっただけなのに。彼女は自嘲的に小さく笑った。
「どうした、ロック? 寒さで固まっちまうにはまだ早ぇぜ?」
「……凍えそうだよ。ここは寒すぎる。早く戻ろう、傷の手当てをしないと」
彼は言いかけた「ごめん」を呑みこみ、彼女の軽口に答える。
原因は自分。結果は目の前にいる彼女。
信じていたからこその決断だった。
自分の所為だと言いながら、彼女に侘びを入れようものなら、信頼の上で成り立っているこの因果を、全て否定することになってしまう。
彼は今の気持ちを例える適当な単語が見当たらず、けれどもどうしても伝えておきたくて、彼女の体を愛しむように抱きすくめた。
「……」
「痛むか?」
「いや、そうでもねぇな」
「凍えそうなんだ。だから、もう少しだけ……」
暗闇で彼の顔が見えないことが幸いだった。
殴られた顔や身体の傷を見られずに済むし、何より自分が傷つかないで済む。
(あんたのひでぇ顔を見る方が、あたしにとっちゃよっぽど痛ぇんだよ……)
二人には、愛の言葉は何の意味も持たない。
沈黙のみが、それを語る。
|