注:日本編以前の設定です





Before he returns to the hometown T


 薄暗く、外の灯りだけが入り込んでいる部屋の中、時計の音が秒針を刻んで、すでに1時間が経とうとしていた。
 彼が目覚まし時計を見ること4回目。
 見るタイミングもだんだんと規則正しくなってきていた。
 ――眠れない。
 諦めて体を起こす。
 寝苦しいのではない。ただ、眠れない。
 眠れない原因はわかっている。
 この場所を居心地が悪いとは思わない。むしろ良いくらいだった。昔のように上司に頭を下げる事もなく、仕事もハードな時はあるが、不満はない。
 そんなある意味恵まれた生活をしていても、ごくたまに今日のように眠れなくなる時がある。
 心の中に、漠然と引っかかっているものがあるのだ。
 自分で解決しなくてはならない事も充分承知していた。
 ――眠れない。
 止まることなく、時計の秒針は動いている。
 その音に耳を傾けていると、だんだんと瞼が重くなってくるのが感じられた。
 やっと眠りに入れる。
 しかしそう思った矢先、部屋をノックする音がはっきりと聞こえ、現実に引き戻された。
「誰だ、こんな夜中に……」
 入眠を妨害されるのは誰だって気分の良いものではない。彼は酷くダルそうにベッドから起き上がった。
 半分閉じかかっている目で、ドアスコープを覗き、相手を確認する。
「レヴィ?」
 ドアの前で彼女は大きなあくびを噛み殺していた。
 そしてボリボリと頭を掻く。
 まるで寝起きの仕草だ。
 彼はゆっくりとドアを開けた。
「酔って部屋を間違えた、にしては器用すぎるよな」
「眠そうツラしてんなぁ。お前をお迎えに上がってやったってのに」
「こんな時間に? 飛び入りかい?」
「いや、仕事じゃねェよ。だが逃がすにゃ惜しい機会だ」
「何を言ってるのかよく――」
「さっさと準備しな。波がお待ちかねだぜ」
「はぁ?」



 彼は車を近くにつけると、彼女の指示通りに車のトランクを開ける。
 そこにお目見えしたサーフボード。
 彼はしばらくそいつを憎らしげに眺めた。
「……俺をここに連れてきたのはコレが目的?」
 彼はげんなりした様子で彼女に問う。
 しかし彼女は悪気のなく問い返す。
「なんだよ、不満か?」
「いや、不満というより――」
 いくらロアナプラが年中暖かいとはいえ、今は真夜中だ。
 それ以前に、なんの説明もなく車を運転しろと言われ、言われる通りに走って着いた所が――
「どうして海?」
 呆れ半分で彼はさらに問いかける。
「おいおいロック、コイツが見えてねェのか?」
「見えてるよ。夜中にサーフィンなんて聞いたことがない」
「そりゃお前が知らねェからだろ」
 彼女がトランクからボードを取り出すと、抱えて浜辺へを歩き出した。彼は駆け足で後を追う。
「それ、レヴィの?」
 彼は彼女が脇に抱えている長いサーフィンボードを指差す。
「しばらく使ってないガラクタみたいなもんだけどな」
 どうやらそうらしい。
「質問を変える。俺が聞きたいのは、どうしてこんな夜中にやるのかってことだよ。サーフィンなら昼間にだって出来るだろ?」
「わかってねェなぁ、ロック。サーフィンってのはな、バカをさらけ出したような派手な水着と板で楽しみゃいいってモンじゃねェ。もっと別の楽しみ方があっていいはずだぜ?」
「う〜ん、納得できるような出来ないような……」
「理屈なんてどうでもいいのさ。いちいちそんなモンに拘ってちゃあ、楽みを逃がしちまうしよ……ッと」
 彼女は打ち寄せる波が届かない所にボードを置いた。
 その周りの砂がふわりと舞う。
 浜辺に立つと、波の音がはっきりと聞こえた。
 このところ雨が続いていたため、波が大きい。
 確かにサーフィンをするには丁度良いのかもしれない。
 それにしても、仮にも女が夜中に男の部屋に訪れておいて、その目的がサーフィンとは、肩透かし以外のなんでもないと彼は小さく肩を落とす。別に彼女との間に何かを期待をしていたわけではないが、溜息くらいは出る。
「はぁ……それはわかったけど――って、レヴィ!?」
 彼女はタンクトップを脱ごうとしていた手をピタリと止める。
「ん?」
「一応聞くけど、水着は――」
「ああ。中に着てる」
「そう、なら良かった……」
 彼は砂場に腰を落とし、夜の海をぼんやりと眺める。
 隣で再び彼女が服を脱ぎ始めている。
 そういえば、彼女の水着姿を見るのは初めてかもしれない。そう思って彼女の方に視線を向けると、タンクトップを脱いでいる途中だった。
 月明かりの下に薄っすらと照らされる彼女の肢体は魅惑的だった。改めて“女”であることを意識させられる。
 普段は見えない背中があらわになり、視線をはずせなくなるほどの色気を感じた。
 両腕を交差させるように持ち上げた服が彼女の束ねられた長い髪を一緒に持ち上げる。
 首を通ったところで、彼女が小さく息を吐く。
 ごくりと彼の喉が無意識に上下する。
 すると、彼女のタンクトップが突然彼の視界を覆った。
「っ!?」
「何見てンだよ」
「あ、あぁ、ごめん……」
 寝起きの下着姿は見慣れている。しかし大抵は朝起こしに行った時に見るくらいだ。場所や時間が違うだけで、こうも印象が変わってしまうものなのだろうか。
 彼は気まずそうに視線を海に戻す。
 砂場に脱いだ服が落ちる音が妙に気になり、耐えられなくなった彼は雑念を振り払うように彼女に質問を続けた。
「なぁレヴィ、俺は運転だけのためにここに連れて来られたのか?」
「用向きがそれだけなら、お駄賃をやらなきゃだ」
「……まさか俺にもやれとは言わないよな?」
「波乗りはやったことねェって前に言ってたろ? あたしが教えてやるよ」
 彼女は珍しくニコニコと楽しそうに笑っていた。
「おら、早く脱げって」
 彼の前にしゃがみこみ、ネクタイを引っ張り顔を近づけると、襟元からネクタイを外し始めた。
「海パンなんて持って来てないよ!?」
「男はいいなぁ、ロック。パンツ履いてンなら海パンなんて必要ねェもんな」
 これはセクハラだと思う。
 しかし今の上機嫌な彼女には反論も抵抗も効きそうになかった。


→ to be continued ...