注:ロックの過去を捏造しています。苦手な方は注意してください。





Before he returns to the hometown U


 情けなくも彼女にワイシャツをあっさり脱がされ、観念した彼は自ら下着姿となった。彼女は海パンも柄パンも変わらないような言い方をしたが、男からしてみればそれなりに恥ずかしいものではある。
 しかし彼は抗うことなく、彼女に腕を引かれ夜の海へと導かれていく。
 水面に月の光りが照らし出されていた。雲ひとつない、雨上がりの夜空。雨水を含んだ海は波が高かった。彼女が“逃すのには惜しい機会”と言った意味がやっと理解できた。昔見た映画のラストシーンで、荒々しい波が立つ夜の海で登場人物が無謀にも波乗りをしていた。確かその男も悪党だったなと、彼はぼんやりと思い出していた。
 彼がそんな事を考えている時、彼女は二人で海に入るのが2回目だと思い返していた。 沈没船での一件で、一緒にサルベージのような真似をしたことが脳裏に鮮明な映像となって映し出される。
 あれからもう1年以上が経つ。あの時の自分は、この男と上手くやっていけるわけがないと考えていた。ふとした瞬間に撃ち殺してしまいそうなほど、自分の腹の底のさらに底にある感情を揺さぶる存在が、彼だったからだ。
「なぁ、ロック」
「ん?」
「潜りは一人でやったのか?」 
「日本でかい? いや……連れもいたよ」
「……女か?」
「昔の話だよ。結局俺が振られて終わった。俺、出張することが多かったから。遠くにいる男より、近くにいる男の方が良かったんだろうな」
「ひでぇ話だ」
「確かに、良い思い出ではないな。けど俺も悪かったんだ。側に居られなかったのは事実で、その後引きずりもしなかったから。
 思っていたよりずっと冷めていたのかもしれない。彼女もそれに気づいたんだろうな。おかげで俺は、本気で誰かを想ったことがないんだって気がついた。
 ほんと言うと、よくわからないんだ」
「……いいじゃねェか、それで」
 彼の目が大きく見開かれた。
 驚いたのだ。
 人として欠落している感情だと思われて当然のことなのに、彼女はそれでも良いと言う。それすら良いと言う。
「どうってことねェよ。そんなモンの答えなんてここじゃ、この街で生きていくにゃ必要ねェ。じゃなきゃロック……お前はどこに行きたいんだ?
 ここが……嫌にでもなったか?」
 彼女は波が押し寄せるその向こう――水平線の向こうを真っ直ぐ見つめていた。
 その横顔はまるで絵に描いたような美しさがあった。
 彼は今日のように彼女を美しいと思う瞬間が度々ある。
 例えば、カトラスを振るっている時の生き生きとした姿。
 例えば、イエローフラッグで飲んでいる時にたまに見せる眠そうな横顔。
 例えば、名前を呼んだ時に自分を振り返る仕草。
 そうした全ては、容姿的な美しさが魅せているのではいと思う。
 それは、内面的な美しさだ。
 彼女は容赦なく人を撃ち殺すのに、一度懐に入れた人間に対しては情が深く、そして甘い一面がある。それを甘さだと指摘すれば、彼女は間違いなく否定するだろう。
 だから彼女は誰にも甘えられない。甘え方を知らない彼女は、去る者を振り返ることもしないだろう。いや、できないのだろう。
 それが例え、彼であっても。
「違うよ、レヴィ。ごめん、違うんだ。ここが嫌いなわけじゃない。ただ俺に何かが足りないだけなんだ」
 彼女とは違う、決定的な何かが。
 辛そうな思いつめた表情に、彼女も切なげに顔を歪める。
「嫌いじゃないってだけじゃ、納得できねェみてェだな」
 彼に足りないものを、彼女はぼんやりと理解していた。
 しかしそれを伝えてしまえば、彼は自分の側を離れて行ってしまうかもしれない。最近はそれを怖いと感じる初めていた。
 誰かに固執すれば、自分の命すら危ぶまれる。
 現に、彼女は今まで何人もそういった人間を見てきている。
 誰かの命を庇って 死んでいく人々を。
 彼女には到底理解できない感情であったはずなのに、今なら理解出来てしまう。
 もしかしたら自分も、こいつのために同じことをするのではないだろうか。
 そう考えると、やはり少し怖かった。
「レヴィ」
 彼は彼女の名前を小さく呼ぶと、月明かりを背にし、彼女の正面に立った。
 彼女は無意識のうちにボードを手放してしまう。高めの波が、少しづつボードを連れ去っていく。
 彼女からは彼の表情がよく見えなかったが、彼が自分に何を求めているのかだけはわかる。
「納得できるまで考えりゃいいさ。それくらいなら付き合ってやるからよ」
 側にいながらも遠い位置に居るはずの彼女が、今は誰より近くに感じる。
「ありがとう」
「あー、もういい。会話にすらならねェ」
 彼女は手放してしまったボードを取りに行こうと一歩踏み出す。
 彼は逃さないと言うように、彼女の手首を捕まえると、強く引き寄せた。
 そして耳元で囁く。
「ありがとう」
 幸いなことに、ほんのり赤く染まった彼女の頬は、月明かりでは映えないため彼には気づかれていなかった。
 肌と肌を通して伝わる温かさに動揺しながらも、彼女はいつもの悪態をつく。
「お前、やっぱホームシックなんじゃねェのか?」
 この状況でいう台詞じゃないだろ。
 彼はそう思いながらも、文句を言わず甘えさせてくれる彼女に、今日は心から感謝したかった。
「かもな」
 耳元にかかる息で彼が小さく笑っているのがわかった。
 ――どうしようもなねェ男だぜ、まったく。
「ロック、あたしに惚れてんのか?」
 彼女が先ほどから微動だにしないことに、彼は気づいてた。
「……かもな」
 彼は屈託ない笑顔でそのまましばらく彼女に甘えた。

 ――過去なんて関係ない。
 ――大切なのは“今”だ。