注:死にネタのため苦手な人は注意。





happily ever after


 声を上げて泣くことが出来たなら、どんなに楽だろうと――彼女は彼の物言わぬ肉体を抱え思う。
 泣き方など、もう思い出せない。
 だから彼女は、震える唇を噛む。
 強く、強く噛む。
 乾いたそこから、血が滲みだす。
 それは彼女の細い顎を通り、彼の二度と開かない瞼へと滴り落ちた。
 もしこれが、御伽噺なら。
 【お姫様を庇い撃たれた王子様は、お姫様の熱い涙で蘇えり、そうして二人は末永く幸せに暮らしました】という結びを聞き、子供たちは安心して眠りにつくだろう。
 しかし、現実であるこの物語にお姫様はいない。
 ここに居るのは、何百いや何千かもしれない人間を殺し続てきた、戦乙女とも魔女とも言えない、悪党だけだ。
 それでも、幼い頃のどす黒い出来事を全て受け入れていることで、神様とやらがチャラにしてくれるなら、ひとつだけ願ってやろうと思っていた。

 ――彼を、自分より先に逝かせないで欲しい、と。

 それが、彼女のたった一つの願いだった。
 信じる者は救われると、耳にタコが出来るほど聞かされていたあの頃。濡れ衣で死にかけてからは、神に唾を吐き続けてきた。
 信じたかったが、信じられなくなったモノ。
 それが彼女にとっての神だった。
 いつだったか、イエローフラッグのカウンターでいつものバカルディを飲んでいた時に、彼にこんな問いかけをしたのを思い出す。
『だったら、信じない者はどうなる? どっちにしろ、救われねェのがオチさ』
 宗教に関して典型的な日本人であった彼は、こう言った。
『それなら、別のモノを探せばいい。人によっては仏かもしれないし……信じられる、たった一人でもいいだろうね』
 この時彼女は、彼の瞳に映っているのが自分だと気づくべきだったのだ。気まぐれにしか救わない神なんて、信じなくて良かったのだ。信じるべきモノはたった一人だった。
 あの時、お前は教えてくれたんだな、神なんて――
「――クソの役にも立ちゃしねぇ。そうだろ……ロック」
 彼の瞼に、再び水滴が落ちた。
 透明な水滴だった。
 それはさきほど彼女が落とした血と混ざりあうと、彼の目元に細い筋を描いていく。
 まるで彼が涙しているように、水滴は土に吸い込まれていった。


   会って、知って、愛して、
   そして別れていくのが幾多の人間の悲しい物語である。
                                  コールリッジ